前回の記事で、英語教育に関して様々な意見があり、識者(?)の間でも対立していることに触れました。議題に上がるのは主に
・大学入試の改革、4技能入試に関すること
・英語の早期教育について
です。そして、旧英語教育を支持(というより、上記改革に異を唱える)方々は、
・日本人の一部に人にしか英語は必要でない
・自動翻訳機が登場すれば英語は不要だ
・英語を学ぶ前に日本語を
・英語よりも論理的に考える力が大切
・英語は必要になってから学べばよい
というような理屈で上記改革に嫌悪感を抱いているようです。
まず今回は、私の考えである「小学校から4技能を含め英語を学ぶべきだと考えている一方、大学入試ではこれまで通りの試験形式で構わない」の根拠について書いていこうと思います。
とても当たり前のことなのですが、大学入試の改革と小学校の英語教育に関しては、そもそも分けて考える必要があります。
しかし、(4技能を推奨する)改革派も(改革を嫌う)保守派も、その問題を一緒くたに議論しているように見受けられます。
特に、保守派の唱える
「大学入試の改革は不要であり、早期英語教育も不要」
という主張は、とても理性を持った考えとは思いません。それぞれで分けて考えるべきでしょう。
私は大学入試に関しては、これまで同様の入試スタイル、平たくいえば読み・書き中心の入試で良いと考えています。
そもそも大学とは職業訓練所ではありませんから、
実用英語で選抜するべきではありません。それは、他科目の選抜試験における出題内容が専門性を十分に含んでいることからも明らかです。
日本の大学において英語の必要性があるのは、専門書の参照や論文の執筆であり、話す・聞くという技能がほぼ不要であることは明らかです。
当然、学部の特徴によっては、例えば講義が英語で行われたり、英語で議論をしたりする機会もあるでしょう。そのような学部に限り、
4技能の入試や民間試験を活用することは必要だと思いますが、全ての大学・学部において4技能を選抜する必要はありません。
これが、大学入試は現行過程のままで良いと考える私の理由です。
しかし、英語の早期教育にまで反対するのはなぜなのでしょうか。
小中学校における義務教育においては
・「生きる上で必要となる実用知識」
と
・「専門的な学問を学ぶ上での基礎となる知識と考え方」
を身につけるべきだと思うのですが、それに英語を入れることは、賛成こそすれ反対する必要はないように思います。
特に英語は、外資系の企業や専門商社で働く人だけではなく、小売店や農業・漁業に携わる人にとっても必要なスキルとなってきています。
果たして英語は本当に不要なのでしょうか。
早期英語教育に反対の立場をとる人たちの、本当に多くの方が「英語より〇〇を学ぶ必要がある」という意見を声高に主張されておられます。
ちなみに、〇〇に入るワードの人気Top3は「国語(および日本語)」「思考力」「論理(数学)」です(思考力と論理(数学)を分けたのは、
私の中でこの2つは意味合いが違うからです)。
不思議なもので、英語(を含む第二言語)を学習すると国語や数学などの〇〇が脅かされると考えておられるのでしょう。世界の6割の人々はマルチリンガルですので、
4割のモノリンガル(単一言語使用者)だけが、〇〇を持っていると主張したいのでしょうか。
これまで小学校時代に英語が必修化ではなかった偉大な先人の方々はさぞかし、思考力や数学力に秀でた方に違いありません。
という皮肉はさておき、早期に第二外国語を学習(および習得)した人たちの知能レベルが低くなるという証拠は今のところありません。
逆のデータ、すなわちマルチリンガルの人たちがモノリンガルの人より平均知能レベルが高いというデータはあります。
しかし、私は「マルチリンガルの方がモノリンガルより優れているか否か」を議論したいわけではなく、
英語が他の能力を阻害するという根拠は何もないということです。これは以前も別の記事で紹介しています。
>>■英会話の勉強は日本語をダメにする!?幼少期の英語学習の注意点
私は、英語を第一義として勉強すべきとは思っていません。英語を話せることよりも、論理的に物事を考える力の方が大切だと思います。
流暢な発音で中身のないことを言うよりは、拙い英語でも意味のある言葉を発する方が大切です。
英語より〇〇の主張は一見正しく思えますが、英語を勉強したからと言ってそれらの能力が何ら失われるわけではありません。
次回のブログでは、なぜこのような議論が起きてしまうのかについて書きたいと思います。