現在は小学校でも英語の授業が必修化しています。また、中学、高校で習う学校英語や、学習塾や予備校などで学習する、いわゆる「受験英語」について批判されることがしばしばあります。
今回は、現在の英語教育の分類や状況に触れ、それらの背景にも触れていきます。その上で、「これまでの英語(学校・予備校英語)ってダメじゃない!」という主張から、幼児や小学生に教える英語はどうあるべきかという点について論じます。タイトルに興味をもたれた方は、ちょっと戸惑うかもしれませんが、ぜひ最後までお読みください。
■「学校英語」と「予備校英語」は違う
厳密な分類は難しいのですが、まずは最近批判されている旧英語教育についてお話しします。旧英語教育とは、文法重視の授業を通して、読み・書きを中心とした学習と定義します。
しかし、「学校で習う英語」と「塾・予備校で習う英語」はかなり違うと言えるでしょう。これを「学校英語」「予備校英語」と便宜上区別します。当然、学校の英語教師でも「予備校英語」を教えている方もいらっしゃいますし、その逆もそうですが、ここでは便宜上区別します。
学校英語の特徴は、教科書を読み、単語を覚え、和訳や英作文を行うわけですが、そのほとんどが暗記に頼る手法です。多くの学校英語のスタイルは「とにかく読む。辞書で調べる。そして覚えろー!」といった授業です。
一方、予備校英語はそれらを体系化して学習します。1つ1つの文を精読し、「なぜこのような訳になるのか?」を徹底して叩き込みます。
たとえば、”go to bed” は「寝る」と訳しますが、学校英語では「これは『寝る』という熟語だから覚えろ!」となるわけです。しかし予備校では、なぜ「寝る」と訳すことになるのかを説明してくれます。前置詞のtoの役割や、bedになぜ冠詞がついていないかなど、様々な点について解説を加えてくれます。また、予備校英語の特徴でもありますが、1つの文に関する説明をとても細かくします。様々な記号を用いて「この動詞は、主語はこれで〜」という解説をしてくれます。和訳に関して、モヤモヤとした理解をすることはないでしょう。中には、英文にスラッシュ(/)をごちゃごちゃと入れたり、「英語は後ろから読め」と指導したりする傍流の指導法も登場しました。しかもそういった指導法が受験英語に苦しむ若者にとっては理解しやすい面もあり、そのような独自の指導法で人気を集める講師も数多くいます。
まとめると、旧英語教育を簡単に分けるならば「感覚で身につけていくのが学校英語」「論理で理解を深めていくの予備校英語」と分類できるでしょう。これが、旧英語教育を2分類した姿です。一口に旧英語教育といっても、実態は2つの種類があるのです。
■旧英語教育の弱点
さて、このように旧英語教育を分類したのですが、どちらにせよ大きな欠点があります。それは「日常で使う英語としては、どちらも不十分」ということです。なぜなら、日常の中で英語を使う場合、「読み・書き」の能力だけではなく、「聞く・話す」能力も必要となってくるからです。また、1つの文を読むときに、いちいちスラッシュを入れたり、後ろから読んだりしている時間はありません。旧英語教育については、様々な問題点があると私は考えていました。
しかしあるとき、私の予備校講師時代の同僚英語講師と会話をしたときに「なるほど!」と思ったことがあります。それが、今のビバイのサービスを作る上で転機となったと言っても過言ではありません。私は当時予備校で数学を教えておりましたが、日本の英語教育に関して疑問を抱いていました。かつての同僚でもあり、友人でもある、OPETS代表の斉藤健一氏に上記の疑問をぶつけてみました。
私「いまの英語教育はダメだ!全然日常で使えないじゃん!」
すると、斉藤氏は次のように答えて、私の目からウロコを落としてくれました。
「いや、学校で習うどの科目も日常で使えなくない?」
私は「たしかに!!!」と思いました。私は数学講師でしたが、日常で微分・積分などを使ったことがありません。学校で習った古文や漢文も、理科で習ったフレミングの法則も、使ったことがありません。
続けて斉藤氏は「当然、今の英語教育が日常で使うことに特化していないことは理解しているけど、英語だけ日常での使用を目的にしてしまったら、学問としての意味がなくなってしまう」と話してくれました。
私自身、数学というものを教えながら日常で使うものとは考えてはいません。数学の学習の重要性はもっと違うレイヤーで役に立つものであると考えています。私の数学の話は別の機会にするとして、斉藤氏の「英語に関してだけ日常使用を目的とした教育をするのはおかしい」という指摘は、まさしくその通りだと感じました。
■新しい英語教育のあり方とは
とはいえ、これまでの旧英語教育がそのままでいいのかというと、そうではありません。これまでの日本は、海外の技術を習得するために、また日本での研究を世に広めるために読み・書きの学習が中心であるべきでした。「英語の学習は大学以降での研究のため」といっても過言でありませんでした。理系大学生も、英語で書かれた専門書などを使用する機会はありますし、海外の情報を仕入れるためには、英語を高い精度で読むことは非常に重要なスキルでした。
しかしながら、今後国際化がより加速する社会において、それだけのスキルでは十分ではありません。以前の記事でも紹介したように、今後、英語という道具はより高い次元で使うことになっていきます。
新しい英語教育のあり方として、もっとも力を入れるべきだと私が考えているのが幼児、小学生への英語教育です。中学、高校、そして予備校で学習する英語教育はマイナーチェンジに留めて、幼児、小学生こそ英語をしっかりと学ぶ必要があるでしょう。当然、幼児(未就学児童)に関しては、義務教育ではないので文部科学省が管理することはできません。保育園にいたっては厚生労働省の管轄となりますので、幼児の英語教育に関しては、我々民間の事業者がその責任を負っていくべきでしょう。
未就学児童や小学生への英語教育で重要視すべき点こそ、「話す・聞く」の能力です。間違った文法でも構わないので、どんどん話す姿勢が大切です。しっかりとした文法や高度な文章読解は、中学、高校に任せ、幼少期はとにかく英語に触れて、英語が日常で使われる状況を作り上げていく必要があるのではないでしょうか。