文部科学省から発表された、2020年からの新学習指導要領
にもあるように、国際化する社会の中で、日本の教育も改革を迫られています。新しい学習指導要領について賛否が別れておりますが、今回は「グローバル人材とはどういう人なのか」という点について書いてみたいと思います。
当然、私の考える「グローバル人材」が正しいとも限りませんが、読者の方にとって参考の1つになれば幸いです。
◆グローバル人材とは?
この項目は、飛ばして読んでいただき、結論のみ読んで頂いても構いません。さて、そもそも、グローバル人材とは、どんな人なのかを考えてみましょう。簡単な表現をするらなば「世界で活躍できる人」なのでしょうが、「世界」とはどこでしょうか?「活躍」とは、どういうことなのでしょうか?
この点をわかりやすく理解するためには「非グローバル」な状況を考えてみるといいでしょう。
「日本人だけが働く職場で、日本国内で製品やサービスを作り、日本人だけそれらを提供する人」という状況が、「非グローバル」な人と考えられると思います。では、グローバル人材とは、その対偶をとればいいので、
「外国人も一緒に働く職場で、世界各地で製品やサービスを作り、世界中にそれらを提供する人」
という状況が、グローバル人材ということになります。
ということは、「世界で活躍する」の「世界」とは、とりあえず日本以外の国(または国々)ということになりそうですね。日本以外の国々ということは、お隣の韓国かもしれませんし、中国やインド、ベトナムやフィリピン、アフリカの国々かもしれません。もちろん、アメリカやヨーロッパも。
では、「活躍」とは何でしょうか。先ほどの「グローバル」という状況から考えると、「外国人たちとともに働くことができ、世界で必要とされる製品やサービスを作ることができ、世界の各地でそれらを提供することができる人」ということになりそうです。何となく「世界で活躍できる人」の姿が見えてきました。
しかし、現在の「グローバル化」の風潮を見ていると、どうも「英語を話せる人」と定義している気がしてなりません。私が勝手に考えた国際人の定義には、どこにも「英語を話せる」とは書いてありません。私の定義が間違っていたのでしょうか。自己弁護のために反論をすると、英語を話せても、職場でコミュニケーションがとれず、必要なサービスも作れず、さらに提供できないのであれば、これは国際人とは言えないのではないでしょうか。それどころか、日本でもまともに働くことはできなさそうですね。
◆インターナショナルスクールは国際人を育てるものではない
この項目にはインターナショナルスクール(以下、インター)について、批判的な箇所がありますが、すべてのインター、およびその卒業生を批判しているわけではありません。あくまでも事例の一つ、考え方の一つとしてお読みください。
日本でもインターに通わせる親御さんは増えてきました。インターについての解説は別の記事で書くことにして、ここではインター卒業生の残念な事例をご紹介します。
まず、インターに通わせるにはある一定の才能が必要となります。才能とは、まさに天から授かったものであり、運と言い換えても差し支えありません。入学するには当然英語力が必要となりますが、国内で日本語しか話さない両親に育てられ、インターに合格するだけの英語力を養成するのは非常に難しい状況です。「子供が英語を日常で使う状況にある」という運が必要になります。海外勤務や、両親のどちらか(もしくはどちらも)が英語を流暢に使える状況にないと、入学は非常に難しいでしょう。仮に、ご両親の熱心な教育のおかげでうまく入学できたとしても、学校生活では苦労が絶えないでしょう。授業はすべて英語で行われますから、英語がわからないせいで算数がわからない、といった状況だって考えられます。
また、多くのインター出身者に見られるのが日本語力の低さです。日本の学校で教育を受けても日本語能力が著しく低い人は見受けられるのですが、インター出身者のそれは桁違いに多い印象です。さらに、もっと残念なことは、実はそのような人は英語も中途半端だということです。英語も日本語も中途半端ですから、英語圏でも日本国内でも働くときに苦労をします。そうであるくらいなら、日本語が完璧で英語は「まぁまぁできる」くらいの方がまだマシです。
ただ、普通の日本の中高生に比べれば格段に英語はできます。特に、ヒアリングとスピーキングの能力は日本の英語教育を過ごしてきた人と比べるとかなりの差があります。
にも関わらず、多くのインター出身者が国際社会で活躍できるのかというと、そうではありません。一部の優秀な生徒は、オックスフォードやハーバードなど優秀な大学に進学しますし、タレントさんなどで活躍されている方も多くいらっしゃいますが、多くのインター出身者はその英語力を活かすことなく普通の社会人となっていきます。
私は、「両親のどちらか(もしくはどちらも)英語が話せる」「海外の大学へ進学させる予定」「日本に住むかどうかわからない」などの理由がない限り、インターをお勧めしません。一番ダメな理由は「英語ができるようになるから」「国際社会で活躍してほしいから」というものです。前者はそもそも間違っていて英語ができることは前提条件です。後者ですが、国際社会で活躍するために必要なものは英語ではありません。次の結論をお読みください。
◆結論:英語以外の「ピカイチ」がグローバル人材の第一条件
言いたいことは、他にもたくさんあるのですが、グローバル人材とは「ある一つの突出した能力を有すること」が必要条件となります。当然、それらを活用するためには、英語をはじめとした外国語の習得も必要になってきます。わかりやすくいえば、「ある一つの能力+外国語」が、グローバル人材の必要十分条件と言ってもいいでしょう。この両輪がそろって初めて「世界で活躍できる」状態になるのです。
私の友人は、国内の大手旅行代理店に勤務しており、海外での新規出店と集客をメインに担当しておりました。その友人は、30歳を過ぎてから英語や中国語などを独学で学び、現地にコネクションを築いて事業を成功に導いていました。彼は間違いなく「世界で活躍できる人」なわけですが、英語や中国語を流暢に扱えるからそうなったわけではありません。旅行代理店の優秀なディベロッパーとしての能力があり、それに外国語という新しい武器を身につけたからこそ、事業を成功させることができたのです。
子供に英語を習得させる際に気をつけて頂きたいのは、「英語はあくまでも道具である」という認識を、常に親や教育者たちが持ち続けるということです。英語以外のピカイチを見つけ、養うためには幅広い教養が必要です。
良くも悪くも、現在の教育は欧米を意識し過ぎている風潮があります。たしかに、プレゼンやディベートの能力もあるにこしたことはありません。しかし、それらもすべて道具に過ぎません。プレゼンする内容、ディベートできるだけの知識、こういったものは学校での真面目な勉強で多くが培われていきます。グローバル人材への第一歩は、まずはピカイチを磨くことです。そして欲を言えば、日本人としてのアイデンティティをしっかりもったグローバル人材が世界で活躍できる未来が来ることを願っています。