1.英語の学習によって、国語の勉強時間がなくなる
多くの反英語勉強派は上記の理由を指摘しています。たしかに、外国語の習得は非常に時間もかかりますし、生半可な勉強では当然外国語は身につきません。しかしながら、それは単純に時間マネジメントの問題であり、あたかも「英語の学習が日本語の能力の足を引っ張る原因となっている!」とは到底結びつきません。それを言ってしまえば、全ての習い事は日本語の能力の足を引っ張ることになり、国語の学習のためにはスイミングもピアノも辞めて漢字や作文の学習にフルコミットするべきでしょう。
また、国語学習は、幼少期の場合そのほとんどが「親との会話」で十分です。つまり、「親の国語力がないから」というのが、子供の国語力が育たない最大の原因です。
日本語の能力(すなわち国語力)は、単純に国語の勉強時間(もっと言えば、親との会話の時間)が短いだけで、英語学習によって勉強時間を侵食されたわけではありません。英語をスケープゴートにして、国語学習が疎かになっている言い訳をしているにすぎません。
幼少期の人間の脳は、本当に「かわいたスポンジ」です。むしろ、このタイミングで英語学習をしないのは非常にもったいないとすら言えます。この時期は、いくら負荷(精神的なストレスという意味ではありません)をかけても問題ありません。
2.日本語と英語がごちゃまぜになってしまう
この意見もよく聞かれます。いわゆるルー大柴さんみたいな話し方ですね。
事実、私を含めビバイのバイリンガルスタッフたちと話しているときにもこのような現象はしばしば起きます。
しかし、「英語だけ」もしくは「日本語だけ」に限定して会話をしているときにはほとんどこの現象は見られません。
ただ、幼少期のお子様に関して言えば、多少なりとも言語の混在が起きる可能性はあります。それは子供特有のものであり、生涯にわたってそのような現象が起きることはありません。小さいお子様は名詞や動詞のボキャブラリーが少ないわけですから、別の言語で置き換えられる単語があった場合、言語の混在が起きることはやむをえないと言えるでしょう。
3.流暢な英語よりも会話の中身が重要である
「論理力や表現力を鍛えたりすることが重要だ!」この意見には、私も全面的に同意します。英語はあくまでも道具です。多種多様な絵の具を揃えていても、肝心の絵が稚拙であれば意味はありません。英語はあくまでもコミュニケーションツールの1つですから、文章や会話の中身が重要であることは当然です。
しかし、だからといって「じゃあ英語の能力は意味がない」とはならないはずです。道具を増やして問題はありますでしょうか?1億3千万人と人々とコミュニケーションが取れることより、19億人とコミュニケーションが取れた方が良いことは明らかです。
会話の中身、いわゆる論理力や表現力といったものは、英語の学習が阻害しているわけではありません。単純に論理力や表現力を鍛える訓練(数学や小論文)が足りていないだけで、これもまた時間マネジメントの問題です。
この記事を読んでいる皆さんは、ほとんどが日本語がわかる方々です。当然、皆さんの周りにも日本語しか話さない「ネイティブ日本人」が多くいると思います。そのネイティブ日本人全員が、日本語で論理的に会話をし、多様な表現を身につけているでしょうか。皆様のまわりでも「何言っているかわからない日本語」を使う論理力や表現力の乏しい人がいるのではないでしょうか。
その人たちは、英語学習に時間を取られすぎて論理力や表現力が身につかなかったのでしょうか。おそらく答えはNoです。
これもまた、単純に論理や表現を学んでこなかったからであり、英語学習の影響とは思えません。日本語が中途半端であるのは、英語学習のせいではなく、単純にその人の勉強不足が原因です。
そもそも、世界には複数の言語を身につけているマルチリンガルの人が6割以上いると言われています。その世界の6割の人々全員が、モノリンガルの人より論理力や表現力が乏しいのでしょうか。
論理力や表現力は、英語とは関係がありません。